TAFEでITを学ぶ

今月ご紹介するのはIT。今はどんな仕事にも欠かせないスキルの一つですね。一口にIT といってもアプリケーション、すなわちオフィスなどで多くの
人が使用するOFFICE を使ったりするスキルは、今の世代の人はほぼ100%
身に着けている技術だと思いますが、IT の分野は本当に細かく分かれていて、
システムエンジニアやウェブデザインなどに進む道もあります。その中で今
回ご紹介するのは、ネットワークセキュリティ。
ネットワークはオフィスで仕事している人はご存知の通り、オフィス内のい
くつかのパソコンをネットワークで繋ぐ技術のことをいいます。ネットワーク
セキュリティの技術はただパソコンを繋ぐだけではなく、世界中のあらゆる産
業で使われている技術なので、将来性としても注目のスキルです。TAFE ではサティフィケートIII からアドバンスディプロマ・ネットワーキン
グまで学ぶことができますが、2 年前よりTAFE でもバチェ
ラー(学士号)を取得できるようになりました。大学と同じ
ように3 年で学位の取得ができますが、サティフィケートか
ら入学する人は編入を経て3 年半で卒業となります。
大学ではなくTAFE で取得するバチェラーってどうなん
だろうと、今ひとつピンとこなかったのですが、実はTAFE の
ネットワーキングコースはオーストラリアに数ある有名大学
と肩を並べる、または上回るトップレベルなのです。TAFE で
は、現在IT ネットワーキングコースで世界一といわれるアメ
リカの大学MIT のカリキュラムと同じ内容を学ぶことがで
きます。さらに、オーストラリアでもIT コースのトップレベ
ルといわれるいくつかの大学のマスターコースで教える内
容を、TAFE ではアドバンスディプロマで学ぶことができ
るという点からも、TAFE の学士号のレベルを計り知ることができると思
います。IT 技術者に必要なCISCO ライセンスの取得も可能です。
このコースのレベルの高さは留学生にはあまり知ら
れていない反面、現地のオーストラリア人にとっては有
で、大学のI T コースを卒業してから再度TAFE に
入学したり、実際に仕事をしてからさらにキャリアを積
むために学び直す人も大勢います。オーストラリアの
大学は理論中心ですが、TAFE のこのコースは75 〜
80% が実技スキルを身に着けるための内容が人気の
秘密です。現在、TAFE メドウバンク・キャンパスでネットワー
キングを勉強しているジェームズも学び直しの一人。
3 年前にTAFE で既にサティフィケートを取得して
いましたが、その後就職して再度TAFE に戻りまし
た。その際にどの学位からスタートするかヘッドティ
チャーに相談したところ、IT の進歩は目覚ましく、3 年前の場合はもう一度
サティフィケートから勉強し直した方がいいとアドバイスされ学び直していま
すが、その選択が本当に正しかったと思っているとのこと。
ジェームズにコースの教師陣やカリキュラムについて聞いてみたところ、厳
しいが、厳しいだけでなくとても親切でフレンドリーだし、教え方は非常に質
が高いとのこと。実際、ヘッドティーチャーの部屋にはひっきりなしに学生が
相談に来てオープンな環境となっています。IT フロアには最新設備のパソコンはもちろんのこと、巨大なボリュームの
ラウターもいくつか用意されており、充実した設備の中で実技中心の授業を
行うことによって、高度なスキルを身に着け、実社会で役立つというのもうな
ずけます。このコースでは多国籍の留学生も学んでいます。留学生が
TAFE を選択する理由の一つとして、留学生だけの専門学校では
なくオーストラリア人も学ぶ学校で学びたいという人も多いので
すが、オージーから見て留学生と学ぶのは言葉のハンデなどもあ
る中、授業の弊害などがないかをいい機会なので聞いてみたと
ころ、ジェームズは、子供のころから学校には留学生や移民の子
がたくさんクラスメートにいたので全く気にならない、クラスは
12 〜15 人と少ないため、留学生でも問題はゼロだと断言し、「授
業の質もとてもいいので安心して学べるよ」と語ってくれました。ジェームズの言う通り、オーストラリアの学
校は小さいころからさまざまな国の子供たち
と学ぶ環境が出来上がっているので、こうい
うところから国による差別などの意識がなく
なっていくんだなぁと、日本もいつか、クラスメートに多
国籍の子供がいることが自然な世の中になってほしいな
と改めて思いました。また、今回のインタビューで心に残ったのは、ヘッド
ティチャーが語った一言。「現在学んでいる学生は、これ
からのIT の時代を担う人たちなので、自分の役目は彼
らにしっかり技術を伝承していくこと
」。ジェームズはこ
の言葉に謙遜しながらも、卒業後はITエンジニアとして
活躍したいという自分の将来について揺るぎない信念を
持っていました。

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